ねぶた祭りの意味と歴史や起源

青森ねぶた祭りは、重要無形民俗文化財に指定されている、日本を代表する火祭りの一つです。

巨大な人形ねぶたや、「らっせーらー」の掛け声と共に踊る「はねと」の集団を知らない人はいないでしょう。

一方、ねぶた祭りの意味などを知る人は少ないのではないでしょうか。

そこで、どのような意味・歴史・起源があるのかを詳細に説明していきます。

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ねぶた祭りの意味

ねぶた祭りの意味は、様々な起源・由来があって現在では正確な意味を知る事はできません。

最も有力な説は、重要無形民俗文化財としての記載によると、「ねむり流し」という七夕行事の一つであった習俗が風流化して「ねぶた祭り」になったとされています。

ねむり流しは、七夕行事の一つであり、灯籠流しの一種です。
農作業の負担が大きい夏の時期に襲ってくる睡魔を払う為に、沐浴をしたり、睡魔を委ねた形代を灯籠などに乗せて水に流していました。

津軽弁では「眠い」という言葉を「ねんぶて」と言い、これが訛って「ねぶた」となったとされます。

後の項目に詳細を記しますが、ねむり流しの習合先と思われる祭りがあります。
これは、弘前の津軽為信の出世を祝った地元民が始めた娯楽の祭りであり、ねぶた祭りには「娯楽」という側面もあります。

なお、ねぶた祭りには「らっせーらー」という掛け声がありますが、これは、灯籠を灯す蝋燭などを「出せ出せ」という言葉が語源となっているという解釈が一般的です。

ねぶた祭りの歴史

ねぶた祭りの歴史は、始まり・拡散・発展の3つに分ける事ができます。

 

1.ねぶた祭り「年中行事」へ
ねぶた祭りは、1593(文禄2)に京都で津軽為信が豊臣秀吉に津軽の二間四方に及ぶ「大灯籠」を披露して以後、年中行事となりました。

権勢を振るっていた豊臣秀吉は7月の盂蘭盆(お盆)の出し物を行うように諸侯たちに命じたのですが、当時、「成り上がりの田舎者」として蔑まれていた、後に弘前藩初代藩主となる津軽為信は、自身の意地・誇りを見せる為に地元の津軽で作らせた「大灯籠」を持って京の都を練り歩く大行進を行いました。

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この豪快な大行進は派手好きな豊臣秀吉の目にとまり、津軽為信の出世に繋がったといいます。
地元民は津軽為信の出世を喜び、祝いとして灯籠を持って津軽城下を練り歩き、年中行事として定着していきました。

 

2.ねぶた祭りの拡散
弘前城下町で行われていたねぶた祭りは、次第に港町・青森を始めとして弘前藩内各地に拡がっていきました。

1716年~1735年の享保年間の頃に、青森県油川町付近で弘前のねぶた祭りを真似て灯籠を持って歩き踊ったという記録があります。
これが、青森ねぶた祭りの歴史上で最初の記録となります。

当時のねぶた祭りの様子は、1788年の「奥民図彙」に収録されている「子ムタ祭之図」に、灯籠を10人前後が担いで歩き踊る姿として描かれており、現在の様な「人形ねぶた」を使う勇壮なものではありませんでした。

 

3.ねぶた祭りの発展
文政年間(1818~29)から幕末にかけて、祭りに使われていた灯籠が「人形ねぶた」へと発展していき、ねぶた祭りで人形ねぶたが使用されるようになりました。

明治になると人形ねぶたは大型化していき、明治3年には高さ20mを超える大型ねぶたを100人で担いだという記録があります。

ねぶた祭りの起源

ねぶた祭りの起源は諸説あり、正確なものは不明です。

先の項目でも説明しましたが、津軽弁で「眠い」を意味する「ねんぶて」が訛った「ねぶた」という言葉からわかるように、ねむり流しという「灯籠」を使う七夕行事が起源になったというのが現在の定説となっています。

このねむり流しが、歴史の項目で記した「津軽為信出世祝い祭り」から始まった、「灯籠をもって歩き踊る祭り」に習合して現在のねぶた祭りの姿となったと思われます。

他には、坂上田村麻呂の蝦夷征討を由来とするという異説もありますが、現在では否定される傾向にあります。

ねぶた祭りの意味と歴史や起源まとめ

ねぶた祭りは、睡魔を払う行事や、娯楽を起源とする大変気楽なお祭りです。
私たちも先人に倣い、派手で勇壮な人形ねぶたや、それを乗せた山車の周りで楽しく踊る「はねと」の大集団を見て眠気を吹き飛ばし、精一杯楽しみましょう。

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